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戦場カメラマン 渡部陽一氏の講演会開催

 

平成22年12月16日、本校で戦場カメラマンの渡部陽一さんの講演会を開催しました。
普段耳にすることのない実際の戦場の話は、子どもたちの心に強く訴えかけるものがあったようでした。
ある児童の感想文を掲載します。

 
渡辺陽一さんのスピーチを聞いて
 
 渡辺さんの話はとても勉強になることばかりでした。

 まず最初の「どうして戦場カメラマンになったのか。」では、子供たちがピストルを持っているという現実に驚かされました。今までも「子供兵士」というものがある事は知っていました。でもそれは国に強制されているもので、普通の生活では使っていない物と思っていました。なのに私生活でもそれが無いと危険で生きてゆけない、それはとても悲しいことだと思います。今、戦争をしていない日本でも仕事や学校などいろいろなことで気が休まるのは家、家族といるときだけという人は多いと思います。そのせいでホームレスやいじめ、自殺があります。戦争をしていない日本でもそんな環境があるのに、「殺さなければ殺される」という環境で育った彼らに気が休まる場所はあるのでしょうか?くだらない戦争のせいで、普通だったら心の支えになっている友達や家族を殺さなければいけない。そんなものを作る前に殺されてしまう、そんな環境が今もあるということを改めて感じさせられ、考えさせられました。戦争は大切な人たちだけでなく、心までも奪ってしまっているのです。自分が分かっていたのは本当に一部の戦争だけなのだと思いました。

 次の「写真を使って伝える子供の声」は戦争をじかに見てきた渡辺さんの心が、その写真に写っている人たちの心がとても素直に映し出されていたように感じます。最初の写真で印象に残ったのは石につながれた男の子でした。他の写真には少しながらも顔に「表情」がありました。しかしその写真につながられていた男の子からは「表情」おろか「感情」さえ感じられませんでした。私は「かわいそう」という思いより先に驚いてしまいました。その写真の男の子はまるで無心のように感じられました。「戦争」という悪魔に心を食べられてしまった、そんな印象を私は受けました。彼は「平和」または「終戦」という名の天使に笑顔を返してもらえるのでしょうか?いえ、私たちが返してあげなければいけないのではないでしょうか。「終戦」という天使に助けられた私たちだからこそ、助けるべきなのでは?渡辺さんはそれをいち早くやっている人なんだと思いました。そして、国の中でも動いてる人たちがいました。「学校」を作る。今の日本にしてみれば当たり前のことだけれど、彼らにしてみればそうじゃない。彼らにとっても、いえ世界のみんなにとっても「学校」が当たり前になれる日が来ればいいと思いました。

 戦場をじかに見てこられた渡辺さんだからこそわかるもの、戦争をしている人たちだからこそわかるものは多いと思います。でもそれと同時に「戦争が無い」からこそわかることがあるのも事実じゃないでしょうか。ただ日常茶飯事すぎて気付かなかっただけなのでは?戦場にいる人たちよりはとても少ないけれど、日本にいるからこそわかること。たとえば渡辺さんの話を聞く前、私は「平和」とはみんなが幸せに暮らせて、動物も人も分け隔てなくいられる世界だと思っていました。でも戦場にいる人たちにとって「平和」は戦争が無くて家族や友達がいて、仕事があって、学校があって文句を言ったり自慢したり、けんかしたり仲直りしたり。それだけでもういいと思うのではないでしょうか?「楽園」「パラダイス」は平和な世界にいる人しか感じられないこと。だから今やることはその感情をみんなに分けてあげることなんじゃないでしょうか。「そんな簡単にできるわけない。」っと思う人もいると思います。私も一人だけでできるとは思いません。だから学校で、社会で「チームワーク」を学ぶのでは?そのために少しでも戦争のことを知らなくてはいけないのでは?そのためにGKAのようなイマ―ジョン教育の学校ができたり国際化をしたりするのでは?もちろん他の意味もあると思うけれど、そのすべてが私たちの言う「平和」へのカギ何だということを先生たちは伝えたかったのでは?そう思いました。昔だれかに「勉強のすべては戦争を無くすことにつながっているんだよ。」
と言われたことがあります。その時まだ小さかった私はあまりよく意味がわかりませんでした。でも今回のお話で、やっと意味がわかった気がしました。
 
   
   
   
   
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